2012年2月14日火曜日

東日本大震災がもたらした貿易収支の大変化について


 戦後、貿易収支は常に黒字でしたが、3.11以降、赤字になり、今後貿易収支は赤字体質になる模様です。東日本大震災によりサプライチェーンが分断されたことにより自動車産業等の主要産業の輸出がストップしたことが貿易収支赤字の原因かと思いましたが、そうではないようです。日本企業の不断の努力により輸出は既に持ち直しております。問題は、輸入の増え方が異常に高いことが原因です。
 “風が吹けば桶屋が儲かる”の類の連鎖的影響です。3.11、そして原発事故、原発から火力に発電はシフト、火力発電の燃料であるLNGの輸入量の増大、更にLNGの価格のアップ、LNGの輸入金額のアップ、その結果、貿易収支は赤字です。そして最近、イランがホルムズ海峡を封鎖するとの発言をしていることで原油価格が上がり始め、100ドルを超える水準となっています。そして中長期的には新興国の進展により世界的に資源需要が伸びる可能性が高いのです。資源高と原発問題によるLNGの輸入増によって、日本の貿易赤字の傾向が続くと言われています。
  良いことは、所得収支(海外からの配当、利子所得等)が黒字なことです。所得収支が黒字ですから、貿易収支が赤字でも、両者を合わせるとネットで黒字だから問題ないが現状です。全体で黒字基調であれば、あと4年から5年間、国債の暴落は避けられるでしょう。国民の金融資産1,200兆円から国債残高1,000兆円を差し引いた200兆円があるため、国債の残高が毎年40兆円積み上がっても5年間は国内で消化できます。今、話題の製造業の国外移転は、長期的には所得収支の黒字増大に寄与します。その観点から考えると、所得収支は逓増していきます。しかし、企業が海外進出しても配当収入が増えるとは限らないのです。日本経済が成長しなかったら、企業が配当を日本に送るとは限らないのです。もっと成長が期待できる国に再投資しようとする可能性が高いのです。企業が自社のパフォーマンスをベストにしようと考えるなら当然の行為です。つまり、日本企業としてベストな選択をしたとしても、日本経済にとってベストな状況にならないという、合成の誤謬が起こるわけです。そのことは認識しておかなければなりません。日経を読むと、企業の業績は必ずしも悪くありません。しかし、日本のデフレ感は一向に改善されません。それは、当に合成の誤謬が起きているからです。日本企業の好決算は、国外移転した事業が貢献しているのであって、国内の事業が必ずしも貢献している訳ではないからです。
 国内の事業が元気になる必要があります。国内の事業が元気になれば、多くの問題が解決できます。国内の事業が元気になるとは、国際競争力をつけることです。しかし、国際競争力をつけるのは、企業だけでは無理です。企業は、自社のパフォーマンスをベストにしよう行動しますから、日本がベストな環境であれば、日本に投資しますが、そうでなければドンドン海外に投資していきます。日本全体のスクラップ アンド ビルド (scrap and build)が必要なのです。そのためには、政治の力が今ほど求められる時期はありません。

1 件のコメント:

岩崎栄 さんのコメント...

ブログ投稿 2012年4月15日
岩崎栄said,

みんなの税“社会保障と税の一体改革の提言”(財務省主計局 高田英樹氏)


日本人は勤勉で優秀な民族。立派な有識者やエリート官僚も大勢いて提言もすばらしい。
だが、長期ビジョンや危機管理意識はどうみても覚束ない? 何とかなるさ、阿吽の呼吸、おめえもっと大人になれ!が代表的ワード。これは、私の長年の経験の蒸留*です。

1989年に消費税3%でスタート、以来1997年に5%、2008年に今般の社会保障と税一体改革への原型ができ、2009年の税制改正法のための法制上の措置を講じる方向性が示された。この間、約23年。いまだにペンディングの状態である。(4月15日現在)
社会保障と税の一体改革は好ましいが、今となっては、社会保障の改革案を待っていたのでは? もはや、苦労せず財政が健全化し、社会保障が維持できるような「奇策」は存在しない。に全く同感です。
ならば、2014年に8%、2015年に10%は一里塚とし、さらに2020年(現スエーデン並みの)25%と方針を設定し、国民全員で最大限の努力をもって、思索をめぐらせるべきと思います。1000年に一度であった東日本災害の復興とともに日本人の“絆”をもとに、“真に豊かな国、日本”を目指して頑張ろう! と言いたいです。

ディスカッション内容も何度も読みました。これまでの延長線上で物事考えるほど単純な情況ではない。カオスの世界。低金利が続く、円安で輸出が伸びる、国債の国内消化、日銀への期待、景気が良くなるまで増税すべきでない、はビシャスサークル(悪循環)ではないでしょうか。

定年退職者の、ある人たちは、長年の会社勤めでくたびれはて、もう何も考えることなく難しいことには無関心。一方、元気な高齢者は、意欲があっても働き場所がない。
高齢者の健康保険制度は世界一。先進医学の進歩で日本人の寿命はさらに延びるでしょう。そして高齢者の占める人口比率は“想定外“になるかも。年金制度も長生きすれば世界一。このままでは、(若年層との格差社会ができて)若い人たちは、優秀な人材に従ってグローバルに活躍できる場をもとめて、欧米や(中国や東南アジア)へ流出するのではと、心配です。

国家会計創設の提言について:
1957年の頃、監査論を専攻していた私は、当時「会計学は、わが国ではいささか軽んずる言葉」と聞いていました。国内では弁護士や医者との比較で、たしかにそう思っていました。数年前の会社法、金融商品取引法制定の頃になって、会計士の社会的地位はかなり向上したと思います。国家会計もその詳細については、現行システムに関する知識が不十分なので多くを語れませんが、マクロ的には創設すべきと考えます。
国家予算実績の国民の理解度が不明(アカウンタビリティが説明責任と思っている人は、10人中何人位でしょうか?)。他国の制度は? 伝統ある(欧米とくに)米国の制度を参考に一刻も早く、国家の財務会計を構築すべきとおもいます。イタリアの“財務警察”も大賛成。そういうわけで、村田租税政策研究所のメンバーに大いに期待したいです。

*米国会計学のオーソリティ、ジョージ・O・メイ(George O. May ―1875年、英国デヴォン州生まれ。米国プライス・ウオーターハウス会計事務所所長退任後、米国会計士協会、米国政府調査機関、ハーヴァード大経営大学院講師などで活動と研究に従事)の著作「財務会計―経験の蒸留*」(1943年マクミラン刊(Financial Accounting -A Distillation of Experience))から引用しました。ついでに、日本版(「財務会計」木村重義訳、1957年ダイヤモンド社刊)への原著者序文には、財務会計―その結果は財政状態と所得との年々の表示である―は慣行としての技術であり、それがとる形式は、それが奉仕すべき社会の政治組織、経済組織および事業組織の性質によって決定されなければならない。と述べている。ご参考まで。(岩崎栄)